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片方だけの言い分を聞いて判決してはいけない。原告と被告の両方の言い分を聞いて、公平に判定を下さねばならないということ。
明治元年正月の鳥羽伏見の戦ひで始まつた維新戦争は、翌二年函館の幕軍が降伏して、一段落となり、輝かしい天皇親政の御世となつたが、しかし天皇親政の障害となるものは、徳川幕府だけではなかつた。
討幕の急先鋒となつた薩長二藩をはじめ、全国無数の大小各藩も、一君万民の理想のためには、やがて廃滅せらるべき運命に在つたのである。
討幕のために奔走した勤皇諸藩の主従が、幕府の廃滅はやがて諸藩の廃滅となることを、意識してゐたかどうか、それはかなり疑はしい。幕府の代りに朝廷を戴いて、討幕の功績に対する恩賞をも受け、旧幕時代以上の威福を擅にしようと考へてゐた者も、絶無とは云ひがたいであらう。従つて、明治四年の廃藩置県までは、新興日本は非常なる危機にあつたと云つてもよい。一歩あやまれば建武中興の二の舞が演ぜられたかも知れないのだ。
この形勢を、ハツキリと認識してゐたのは、大久保利通である。明治二年四月、岩倉具視宛の書簡に、
「即今、内外の大難、危急存亡の秋切迫すること間髪を容れず、抑々昨年来一時の平和の形をなすと雖も、大小藩主各狐疑を抱き、天下人心恟々然として、その乱れること百万の兵戈動くより恐るべし……」
と喝破してゐる。FXで色々な判断基準に使える指標
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