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片方だけの言い分を聞いて判決してはいけない。原告と被告の両方の言い分を聞いて、公平に判定を下さねばならないということ。
毎日手を拭いたり顔を拭いたり、お風呂上りには体を拭いたりと、家で大活躍してくれるのがタオルです。 頂き物で余ってるのが押入れに眠ってたりするんですよね。 それでも、もったいない精神が働いて、タオルはとことん使い回しているんです。 例えば、くたびれたバスタオルを数枚ストックしておいて、いい感じの大きさに切って端っこをザクザク塗って、バスマットに変身させてます。 そのバスマットも古くなってきたら、ザクザク縫いをほどいて、ガスコンロなどの汚れがひどい部分などのお掃除に利用して、やっと捨ててます。 顔を拭くタオルなんかは枕カバー代わりに最適で、夏はタオル枕カバーの方が快適なくらいですよ。 かわいいハンドタオルなんかは雑貨を飾る下にほこり避けに置いたりと、うちではタオルはフル活用されています。
幸ひなことに、わたしの部屋は、たつた一つ離れて、三階の廊下のつきあたりにある。わたしのところに来るものゝ足音でなければ聞えない。
食堂へ花束を売りに来る娘がゐる。赤地に緑の縁を取つた前掛をかけてゐる。...
ベルサイユの講和条約に、国境劃定委員会が出来て、その一分科である墺伊両国間の国境劃定に日本からも委員を出すことゝなつて服部兵次郎少将(当時中佐)が任命され、私は通訳として随行した。少々古い話だが――。
墺伊の国境にはチロルといふローマ時代の伝統をそのまゝ保存してゐる歴史的の小国がある。こゝは谷あひの、景勝の地を占め、いかにも平和な気の靉靆たる所で、欧洲人の避暑地、避寒地となつてゐる。私が此の国を訪れた時は戦後のためあまり入りこんでゐる人もなく、静かな旅行を続けることが出来た。
その一寒村、シユワルツエンシユタインに今もローマ時代の古城が残つてゐる。伊太利の某公爵夫妻が、一人の孫娘と淋しい生活を送つてゐたが、私の当時の記録には次のやうにある。...
缶バッジを一つ一つ集めていくのは難しいことですし手間もかかりますが、今はインターネットが発達していますから好きなデザインの缶バッジを集めやすくなっています。また自分オリジナルの缶バッジを作成することもできますし、缶バッジ好きはたまらない時代でしょう。
缶バッジを使う場面は結構ありますし、服などにつければおしゃれにもなります。それこそ缶バッジのデザインは無数にありますから、人とかぶることも考えなくてよいですし、それだけで個性にもなります。ネットで探せば安く製作代行してくれるところもありますし、一度作ってみるのも良いでしょう。
プレゼント用に缶バッジを購入するももいいかもしれませんし、検討してみてください。...
生活の協同化とは、小にしては隣組、大にしては町内または部落、更に、一市一郡といふやうに、生活のある部分を、協力して築き営むことであります。協同献立、協同炊爨、協同託児所のごときがそれであります。これは、もとより、能率に関係があり、生産力拡充には最も必要なことでありますが、一方、国民の性格訓練としても、是非とも励行したいものであります。そこからは、現在われわれの社会生活に最も欠けてゐる秩序の美と力とが養はれるでありませう。更にまた、日本人は、元来、人と一緒に働くことも遊ぶことも不得手であります。そのために、われわれの能力と価値とが百パーセント発揮されてゐないのが偽らぬ事実であります。そればかりではありません。生活の楽しい協同化は、ゆがめられた日本の家族主義を、健全に建て直す唯一の道であります。
われわれは先づ何をおいてもわれわれの生活を戦時体制におき換へなければなりません。
それはたゞ、物資の節約といふやうなことだけではありません。生活をきりつめるのも、生活に力を与へることでなければならないのであります。それがためには、一軒一軒がたゞ物を買はないやうにするといふやうな消極的な方法ではもはや追つつきません。
消費の規整は、生活の単純化から始り、生活単純化の最も有効な手段として、生活の協同化が考へられ、生活協同化は、消費の面から生産の面に伸び、更に、相互扶助、隣保親善の精神を養ひ、生活の明朗化にまで発展しなければなりません。...
われわれの生活が、現在のやうなものである限り、私は、はつきり申していいと思ふのでありますが、今直面してをります国家の危急を立派に切り抜けることは覚つかないと思ひます。日本はどんなことがあつても戦ひに敗れないといふ信念は、信念としては国民ひとしくこれを有つてをりますが、また事実としても、日本人にとつて一番大事なものだけは失はないといふ意味に於てそれは実証されるでありませうが、しかし、今度こそは、うつかりすると、その次ぎに大事なものぐらゐは失はないと保証できないのであります。
われわれには、既に日本人としての雄大な理想があり、個人個人としては優れた頭脳と鋭い感覚があり、君国のために潔く生命を捧げようとする祖先以来の遺風を固く拝してゐるのであります。それでゐて、この日々の生活の低調さ、お互にうんざりするやうな低調さはどこから来るのでせう。
かういふ家の生活のなかゝらは、一億一心などゝいふすがたは断じて生れる筈がありません。路傍ですれ違ふ人々は、見ず知らずの人として、互に冷かな眼を向け合ひ、電車のなかで人が転んでも、手をかして起さうとするものがないのです。
人を見たら敵と思へなどゝいふ教へが、まだどこかに残つてゐるのでありませうか? これがそもそも、今日の日本を少しは暗くしてゐやしないかと思ふのであります。
国家の総力という点からみて、われわれの最も警戒すべき弱点は、恐らく、このへんにありはしないかと思はれます。しかし、これは決して、本質的な日本人の欠陥ではなく、いはゞ、外敵の侵入に脅かされたことのない国民の、暢気さが、日常生活の心構へを知らず識らず不徹底なものにしてしまつたのであります。
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