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片方だけの言い分を聞いて判決してはいけない。原告と被告の両方の言い分を聞いて、公平に判定を下さねばならないということ。
こんなことも、既に気がついて実行してゐる隣組もあると思ひますが、私はこれも上から命ぜられる前に考へておくべき大切な準備の一つだと信じます。
さて、かういふ風に、次ぎから次ぎへと準備を進めて行きますと、今までのわれわれの生活はなんといふ隙だらけな、そして、無駄の多いものだつたかといふことがわかります。
どうしてもなくてはならぬものがなく、あつてもなくてもよいものがざらにあるのであります。物質的にもさうでありますが、精神的には更にさうであります。...
私は国民の一人として、こゝで皆さんに提議いたしたいのですが、先づ、いかなる事態に立ち到らうとも、隣組はしつかり手を取り合ひ、そのうちからは一人も食に饑ゑるやうなものを出さないことを誓ふことであります。こんなことは当然のことですが、まだまだ、われわれはその一事さへ信じ合ふといふところまで行つてをりません。これがまことに不安と云へば不安であります。
そればかりではいけません。隣組は更に、次ぎのことを約束したらいかゞでせう。
万一、老人や子供を避難させるやうな場合、主人や主婦は、それぞれ勤先や町内の勤務に服さなければなりませんから、その代りになつて、一手にそれらを預る専任のものをきめておき、決してばらばらにならぬやう、責任を以てその保護に当ることを予めきめておくのであります。...
買ひ溜めとか闇取引とかいふ行為は、従つて、国民相互の信頼と協力を困難にするものでありますから、これは明らかに、敵を利する裏切り行為であります。
それほどのことゝは思はずに、われわれは、衣食住の上で、または人と人との接触の上で、つまり、日々の生活のあらゆる瞬間に、戦ひつゝある日本の力をすりへらし、敵国に乗ずる隙を与へてゐるのであります。
生活の不安は、国民一人一人の心がしつかりと結びつけられてゐないところから来るのでありまして、日本のやうな国では、戦さがいくら続いても、例へば欧洲諸国のやうに、国内がまつたく饑饉状態に陥るなどゝいふことはあり得ないのであります。たゞ、現在のやうに、隣人相助けるといふ精神が薄く、誰かゞ困つてゐても見て見ぬふりをするものがなかなか多いといふ状態では、国民の一人一人が、なるほど安心してはゐられないやうな気持になるのは尤もであります。 ...
ご承知のやうに、これからの戦争は、武力の戦ひだけではなく、国家の総力の戦ひだと云はれてをりますが、この総力といふ言葉の説明の仕方が、今までいくぶんはつきりしないところがあつたやうであります。経済戦とか、思想戦とか、宣伝戦とか、さういふ方面のことはしばしば耳にしたのでありますが、例へば、生活戦といふやうなことは、あまり皆さんもお聞きにならなかつたのではないかと思ひます。
しかし、一般国民として、既に戦線にあるのもおなじだといふ心構へからすれば、日常生活、即ち、敵との戦ひを意味するのでありまして、敵はあらゆる手段を以て、直接間接にわれわれの日常生活を脅かさうとしてゐることに気づかなければなりません。
物資の不足は、嘗ては戦争の偶然の結果と考へられもしたが、今日では、これがそのまゝ戦争の姿であり、敵の作戦がこれを目的としてをり、われわれがこれに対して戸惑ひすれば、それだけ、敵は凱歌をあげるのであります。 ...
私は国民の一人として考へます。
日支事変がはじまつて既に四年、しかもいはゆる聖戦の目的はまだその半ばをも達成してをりません。しかも、世界動乱の渦は欧洲大陸より太平洋に波及し、わが南北には文字通り、新たな国境――国を挙げて死守しなければならない明確な一線が地図の上に引かれたのであります。
何処で何時、何が始まるかを、われわれは固唾を呑んで見戍つてゐるわけでありますが、実はそれらのこと一切は責任をとるべきものがとるのでありまして、われわれ国民は、何が何処でいつ起つてもびくともしないだけの準備を整へること、それだけが大切なのであります。...
どんな魅力のある女優にせよ、その舞台に接しようとする欲求が、尋常な形で示されてゐないこと、つまり、醜いなにものかを露出してゐることを自分自身気づかないといふところに、これらの群衆一人一人の「嗜み」のなさがうかがはれるばかりではない。評判になつたものなら、是が非でも話の種に観ておかねばならぬといふやうな心理が、いかにゆとりのないものであるかを考へると、それらの人々の日常生活がおよそ察せられるやうに思ふ。
すなはちさういふ人々に限つてものゝ価値判断があやふやで、精神的にまつたく空虚な、従つて、ほかに心を愉しませるすべのない生活を送つてゐるに違ひないのである。
時局がら不謹慎だといふ見方は別として、私は、偶然、その劇場に集つた人々だけを責める気はしない。現代日本人の大部分が、いま、さういふ傾向をたどりつつあるのであつて、私はむしろ、これについて教育家と為政者の猛省を促したいと思ふものである。...
国民士気の昂揚は今や、政治的にも喫緊事とされてゐるが、百千の名士の愛国的訓話は、一回の「地理の書」の朗読に如かぬことは云ふまでもなく、靖国の英霊を迎ふるわれら国民の至情に対し、如何なる高官の弔辞も、数行の「おんたまを故山に迎ふ」る詩片より荘厳にして感動的な印象を与へ得ないのである。
これまで詩歌に親しむことの薄かつた人々のために、先づ私たちは、詩歌を親しみ易いものにしたいと思ふ。朗読法の研究とその効果的な公表を「詩歌の午後」といふ題目の下に企てた理由はそこにある。...
明治以来の詩についてもおなじことが云へる。新体詩と云へば西欧の詩の系統を引いたもののやうに思はれてゐるが、実はそれは時代の風潮がさう思はせただけで、多くの名作と称せられるものはひとしく日本人の心がうたはれてゐないものはなく、今なほ、われわれの魂を強く打つ力をもつてゐるのに、それらは一部人士の趣味を満たすにすぎない有様である。
私はこれらの民族的詩歌が一層広く民衆の間に伝はり、勤労の余暇に、集会の場に、或は独居のつれづれに口吟まれるといふ風になれば、詩歌の精神はおのづから生活のすみずみに流れて、国民のひとりひとりが、みづからのおほらかな詩を、歌を、生むに至るであらうと思ふ。さうなつてこそ、われわれの祖先が嘗てさうであつた如く、事、公なると私なるとを問はず、われわれも亦純愛と献身によつて一切の行動を律するやうになるのだと、私は信じたい。 。
私が詩歌の朗読について考へはじめたのは、ずゐぶん久しい前からである。
日本人は詩歌を愛する国民として、他の如何なる国民にも劣らないのに、その詩歌の精神が、近頃どういふものか、われわれの日常生活から、われわれの協同の仕事から、そしてわれわれの公の行動から、消え失せようとしてゐる。万葉の昔から詩歌こそ、日本人の心と心とをつなぎ、情熱をあふり、勇気をかりたて、現実に夢を、声なきものにいのちを、与へて来たのである。
事変以来、戦線に銃後に、歌よむ人の数は目立つてふえてゐるし、なかには秀作も少くないけれども、それさへまだ、国民全体に十分親しまれてゐない。歌は歌よむ人のために作られ、印刷せられ、発表されてゐるに過ぎぬからである。 。...
悦子 そんな理窟、聞きたくない。あたしは心から、あんたの不幸を悲しんであげたんだ。
愛子 悲しんでくれて、それがどうなつた? 人間の不幸が若し過ちから生れるもんなら、さういふ不幸を、先づ、笑ふのがほんとだわ。あたしはむろん、今、そんな意味で笑つたんぢやない。姉さんが、心の中で、あたしを笑つた、あの笑ひ方を、声に出してみせてあげたのよ。わかつて? おつしやる通り、アイコだわ。
一寿 あああ、いい加減によさないか? わしは腹がへつて来た。(さう云ひながら、室内を歩きまはる。喧嘩がすむのを何時もの通り待つてゐるのである)...
愛子 (突然大声で笑ひ出す)
悦子 (キツとなり)どうして笑ふの?
愛子 ごめんなさい、つひ笑ひたくなつたの……。...
愛子 若い方ね?
悦子 ええ……。でも、さういふ気持を別にしても、その方が正しいんぢやないか知ら……?
一寿 (自分の珈琲を飲み干し)おい、折角のが冷めちまふぢやないか。...
でも、たうとう、来るものが来たと云つていいわ。その二人は、同時に、あたしから瞞されてゐたことを知つたわけよ。そして、一方ではもう、その噂が校長の耳にはいつてるの。一昨日、あたしは校長の前に呼ばれて、然るべく身の始末をするやうに云ひ渡されたの。校長は、そりやあたしを信用してたの。その信用が、職務の範囲を越えて、ある時は、個人的な親愛とまで感じられる程度だつたから、若しあたしさへその気になれば、これもどんなことで……と、内心不安に思ふやうなことさへあつたわ。その校長が、あたしに、さういふ宣告を下さなけりやならないんだから、随分皮肉ね。
一寿 さ、熱いうちにどうだ?
悦子 ええと、ああ、さうだわ……。将来を慎めば、今度のことは内密にして、何処か離れた土地へ、三人とも別々に転任させてもいいつて、校長は云つてくれたんだけど、男が二人とも、それは承知しないの。前の男は、かうなつたのは自分が悪いんだから、過ぎ去つたことは過ぎ去つたこととして、どうしても一緒に、これから二人で生活の建て直しをしようつて、きかないの。後の男は後の男で、自分の方にその権利があるつて譲らないから、あたしは、もう、はつきり自分の考へが云へなくなつてしまふぢやないの。一方はまだ二十五で、一方はもう……たしか三十だわ。二人を並べると、あたしの気持は、十分、前の男の方に傾いてゐることはわかつてるの。 。...
悦子 ところが、去年の夏頃から、ふつとした機会に、もう一人の男の教師と度々話をするやうになつて、別にそれはなんでもないんだけど、ほら、前の男が妙に気を廻しはじめたの。初めはただ、そんなこと弁解するのは馬鹿々々しいぐらゐに思つてたわ。嫉妬つて恐ろしいもんね。たうとうしまひに、人前であたしの方をにらみつけたり、二人きりになると、めそめそ泣いたりするやうになつて来て、いくらわけを云つても承知しないんでせう。こつちもうるさくなるわ、しまひに……。勝手にしろつていふ気になるわ。それで、その結果が、まつたく、思ひがけない方向へあたしを引つ張つてつたの……。それまで何でもなかつた相手と、冗談みたいにして離れられない関係ができちまつたのよ。今から思ふと、なんだつてそんな向ふ見ずなことができたらうつて気がするんだけど、もうしかたがないわ。あれで半年ぐらゐの間、その二人の男を、一方には飽くまでさうなつたことを打明けず、一方には、以前の男を棄てたやうに見せて、大胆つていふか、図々しいつていふか、まるで良心のない生活を続けて来たの。どうかしなけりや、どうかしなけりやと思ひながら、一日一日がたつてしまつたのね。
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