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katakuti
片方だけの言い分を聞いて判決してはいけない。原告と被告の両方の言い分を聞いて、公平に判定を下さねばならないということ。
然し、少し嘘がある方が、歴史は美しい。児島高徳の桜の落書と云い、『太平記』にも大衆文芸の要素があるのだ。
四条畷の戦は正月五日に起って居る。此の日の戦闘を『太平記』なんかで考えてみると、先ず師直は本営を野崎附近に敷き、その周囲には騎兵二万、射手五百人を以て固めて居る。
その第二隊は生駒山の南嶺に屯し、大和にある官軍に備えて居る。師泰の遊軍二万は和泉堺を占領し、楠軍出動の要地である東条を、側面から衝かんとして集結中である。要するに賊軍の配備は消極的で、東条を包囲して徐々に半円径を縮めんとするものらしい。
一方官軍は三軍を編成し、正行は弟の正時と共に第一軍を率い、次郎正儀は東条に留守軍となって居た。吉野朝廷からは北畠親房が老躯を提げ、和泉に出馬し、堺にある師泰に対抗して居た。亦四条隆資は、河内等の野伏の混成隊を以て、生駒山方面の敵を牽制して居る。『太平記』は正行の奮闘は詳説するくせに、此等の諸軍の動静を閑却して居るが、師泰なんか四条畷戦後、北畠軍に大いに進軍を防遏されて居るのである。 特別な贈り物にする缶バッチ
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