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片口聞いて公事を分くるな

片方だけの言い分を聞いて判決してはいけない。原告と被告の両方の言い分を聞いて、公平に判定を下さねばならないということ。

katakuti

片方だけの言い分を聞いて判決してはいけない。原告と被告の両方の言い分を聞いて、公平に判定を下さねばならないということ。

সকল পোস্টঃ

尤も元就は

১৪ ই ডিসেম্বর, ২০১৩ সন্ধ্যা ৭:২৬

 尤も元就は、大内義隆の被官ではあるが必ずしも家来ではない。だから晴賢討伐の勅命まで受けているが、それも政略的な意味で、必ずしも主君の仇に報ゆるという素志に、燃えていたわけではないのである。
 只晴賢と戦争するについて、主君の為に晴賢の無道を討つという看板を掲げ、名分を正したに過ぎない。尤も勅命を受けたことも、正史にはない。
 毛利が陶と不和になった原因は、寧ろ他にあるようだ。晴賢が、義隆を殺した以後二三年間は無事に交際していたのだが、元就が攻略した尼子方の備後国江田の旗返城を陶が毛利に預けないで、江良丹後守に預けた。これ等が元就が陶に不快を感じた原因である。...

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陶晴賢が

১৪ ই ডিসেম্বর, ২০১৩ সন্ধ্যা ৭:২৬

 陶晴賢が主君大内義隆を殺した遠因は、義隆が相良遠江守武任を寵遇したからである。相良は筑前の人間で義隆に仕えたが、才智人に越え、其の信任、大内譜代の老臣陶、杉、内藤等に越えたので、陶は不快に感じて遂に義隆に反して、天文十九年義隆を殺したのだ。
 此の事変の時の毛利元就の態度は頗る暖昧であった。陶の方からも義隆の方からも元就のところへ援助を求めて来ている。元就は其の子隆元、元春、隆景などを集めて相談したが、其の時家臣の熊谷伊豆守の、「兎に角今度の戦は陶が勝つのに相違ないから、兎に角陶の方へ味方をしておいて、後、時節を窺って陶を滅した方がよい」という意見が通って、陶に味方をしているのである。
 厳島合戦は、毛利元就が主君の為めに、陶晴賢を誅した事になっているが、秀吉の山崎合戦のように大義名分的なものではないのである。兎に角元就は、一度は陶に味方をしてその悪業を見遁しているのである。

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この野郎、手前ほんとうに書いたのか

১৪ ই ডিসেম্বর, ২০১৩ সন্ধ্যা ৭:২৫

九郎助 (憤然として)この野郎、手前ほんとうに書いたのか。
弥助 書いたとも、俺よりほかにお前の名を書くやつなんかありゃしねえじゃねえか。
九郎助 ほんとうに書いたか。...

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ああいけねえ

১৪ ই ডিসেম্বর, ২০১৩ সন্ধ্যা ৭:২৪

九郎助 ああいけねえ。こんなものが残っていると、とんだ手がかりにならねえとも限らねえ。

(九郎助拾い集めて掌中に丸める)...

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じゃ俺たちは

১৪ ই ডিসেম্বর, ২০১৩ সন্ধ্যা ৭:২৩

忠次 じゃ俺たちは、一足先に立つぜ。みんな気をつけて、行ってくれ。
一同 親分、ごきげんよう。お気をおつけなせえませ。
才助 浅兄い頼んだぜ。...

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その次は浅だ

১৪ ই ডিসেম্বর, ২০১৩ সন্ধ্যা ৭:২২

喜蔵 その次は浅だ。これで浅太郎三枚だ。おやありがてい、その次はまた喜蔵だぞ。喜蔵は三枚だ。その次は浅太郎だ。浅太郎が四枚。おやその次はまたこの俺さまだ。喜蔵四枚だ。これで俺と浅太郎はたしかだぞ。おやその次が嘉助だ。
嘉助 しめた! 
喜蔵 これで浅とおれが、四枚ずつ、九郎助と嘉助とが一枚ずつだ。二人の勝負だ。...

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試合を休めない理由

১৪ ই ডিসেম্বর, ২০১৩ সন্ধ্যা ৬:২৯

女子ゴルフは試合を休んではいけないのでしょうか。

休むと罰金といことなのですが、どうしてなのか知りたいものです。...

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それから後のことは

১৩ ই ডিসেম্বর, ২০১৩ সকাল ১১:৫৪

 それから後のことは、簡単に申し上げましょう。私達は、尚、姉のあさましい死を、姉を何物にもまして愛して居た母に告げると云う、心苦しい仕事をしなけれはなりませんでした。それを聴いた時、母の狂乱に近い悲痛の有様は、今でもどんなに精しくでも申上げることが出来ます。父は母が必死に頼むにも拘わらず、姉夫婦の惨死の現場へは、母を行かせませんでした。棺に収めた姉の屍体に対し、僅かな名残りを惜しませただけでありました。
 母は、姉の悲業の死を聞いてから、三日の間は一食も咽喉を通らない程でありました。その時は丁度六十一でありましたが、元来瘠せて居た身体は、僅か二、三日の中に、ゲッソリと衰え、ただ二つの大きな眼だけが狂人のそれのように血走って、絶えず不安な動き方をいたして居りました。夜も娘の死を思うて、易々とは寝付かれないと見えまして、ウトウトしたかと思うと、『おとしおとし』と、叫んで、狂気のように跳ね起きて布団の上に端座して、何やらブツブツと申すかと思うと、又さめざめと泣き伏すのでありました。
 姉が病気で死にましたならば、いくら気の弱い母でも、之ほどの悲嘆には暮れなかったのでありましょうが、夫婦諸共兇悪な強盗の為に惨殺されたと云う恐ろしい激動は、母には堪えられなかったのでありましょう。その事件があって以来、ボンヤリとしてしまって日に衰えて行ったようであります。

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俺は、諦めるが

১৩ ই ডিসেম্বর, ২০১৩ সকাল ১১:৫৩

「俺は、諦めるが、お信はどう思うだろう」と云いました。そう云うのを聴くと、私は家に残って最愛の娘の安否を気遣って居る老年の母を思わずには居られませんでした。母がどんなに姉を愛して居るかを、知って居る私は此の惨事の報道が母に対してどれほど、致命的であるかを考えずには居られませんでした。父は、姉と義兄との屍体を等分に見て居ましたが、
「夫婦二人揃って、殺されるなんて、何と云う因果な事か……」と、云うかと思うと無念に堪えられないように歯噛みをいたしたようでありました。丁度、その時に戸外に、数台の車の音がしたかと思うと、さっきの刑事が入って来て、「今予審判事が出張になりました」と、云いました。私は、それでも予審判事が来たことを頼もしい事のように思いました。その人達の手に依って此の兇悪な犯人が一日も早く捕われることを祈らずに居られませんでした。

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老眼をしばたたきながら

১৩ ই ডিসেম্বর, ২০১৩ সকাল ১১:৫৩

老眼をしばたたきながら、黙って家の中へはいって行きました。私が父の後から引返して見ますと、父は姉の屍体を半ば抱き起しながら、
「おとしおとし」と、背中を力強く叩いて居りました。が、そんな事で姉が蘇る筈もありませんでした。父は、姉の屍体を放すと義兄の屍体を抱き上げながら、
「一郎一郎」と、同じように背中を叩いて見ました。が、兄の唇はもう紫色に変って居ました。父は、スゴスゴと立ち上ると老眼をしばたたきながら、...

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私は息をはずませながら

১৩ ই ডিসেম্বর, ২০১৩ সকাল ১১:৫২

私は息をはずませながら、
「犯人は強盗ですか、それとも遺恨ですか」と、訊きました。
「いやまだ判りませんが、多分は強盗でしょう。長生郡と遣口が、同じだとか云って居ましたよ」と、刑事は答えました。私は、そう答える刑事の職業的な冷淡さが、癪に触るようにさえ思いました。姉夫婦が、悲惨な最期を遂げたのも、つまりは千葉県警察の怠慢であるように思いまして、私は此の刑事を頭から罵倒してやりたいようないらいらした気持をさえ感じました。その時、私の父は、近所の俥屋を起したと見え綱引で馳付けて来ました。私は、父の顔を見ると、一旦止まって居た涙が再び流れ出るのを感じました。父は、私の顔を見ると、しゃがれた声で、...

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が、両手を後手に縛られた義兄は

১৩ ই ডিসেম্বর, ২০১৩ সকাল ১১:৫১

が、両手を後手に縛られた義兄は、姉と同じように絞殺されたと見え刮いた眼に死際の苦悶を見せながら、もう全身は冷たくなりかけて居ました。私は、その後手に縛られた両手を見ました時、腸を切り苛むような憤と共に、涙が、――腹の底から湧き出すような涙が、潸々として流れ出ました。私は、狂気のように家から飛び出すと其処に居た刑事に、「誰が殺したのです。犯人は犯人は」と、叫びかけました。刑事には、私が狂乱したようにも見えたでしょう。私は、まだ右の手から離して居なかった樫の棒を握りしめながら、此の刑事にでも飛びかかりそうな気勢を示しました。刑事は、遉に気の毒に思ったのでしょう。
「いやお察し申します。先刻見えました警部さんなども、大変気の毒がって居たようです。非常線を張りましたから、犯人は案外早く上るかも知れません」と、云いました。が、私は姉夫婦を殺された無念と悲しみとで一刻もじっとして居られんように思いました。が、何をしてよいのかどう行動してよいのか丸切り夢中で、ただ異常に興奮するばかりでした。

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私のただ一人のとし子は

১৩ ই ডিসেম্বর, ২০১৩ সকাল ১১:৫০

 私の姉は、私のただ一人のとし子は、ついその前日私を微笑を以て送迎した姉は、髪を振り乱したまま布団の上に投げ出されたように倒れて居ましたが、その首に捲かれて居る細い紐を見ました時、私の全身は烈しい暴風のような怒の為に、ワナワナと慄えるのを覚えました。私は刑事が手を触れてはいけないと云う言葉も忘れていきなり、姉の頸からその呪うべき紐を解かずには居られませんでした。姉のあさましい死状や、烈しい苦悶の跡を止めた死顔の事などは申上げますまい。回想するさえ私には恐ろしいのです。姉のあさましい屍体に、私は両手をかけて、号泣しようと思いました時、私はふと義兄の安否を思いました。私が目を上げて室内を見廻すと、縁側へ面する障子が開いて居る事に気が付きました。丁度六畳間に足だけを置いて、身体の大部分を縁側の上に投げ出して寝そべって居るのは、義兄に違いありません。私は、姉の屍体を捨てて義兄の方へ駈け寄りました。

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それは、確かに姉の足です

১৩ ই ডিসেম্বর, ২০১৩ সকাল ১১:৪৯

それは、確かに姉の足です。敷かれてある布団から斜に畳の上に投げ出されてある色白な二つの足は、姉の両足に相違ありませんでした。その二つの足を見ると、私は今迄の恐怖を丸切り忘れて一気に六畳の間に駈け込みました。そこで私が如何なる光景を目撃しましたろうか。その当時から、足掛五年になる只今も私はその光景を思い出すごとに、胸が裂け四肢の戦くような、恐ろしさと忿とを感ぜずには居られないのです。
 司法大臣閣下。――閣下は、閣下の肉親の方が兇悪なる人間に惨殺された現場を御覧になったことがありますか。否少くとも、閣下の肉親の方が他人に依って惨殺されたと云う御経験をお持でしょうか。もしこうした経験がお有りにならなければ、私がその光景に依って感じた怖ろしさと忿と悲しみとの混じった名状しがたい心持は、とても御想像も及ばないだろうと思います。

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門から、玄関迄は

১৩ ই ডিসেম্বর, ২০১৩ সকাল ১১:৪৬

 門から、玄関迄は四間位ありました。私は玄関の格子を開けると、
「姉さん」と、呼んで見ました。内からは、寂としてなんの物音も聞こえないのです。その癖、電燈はアカアカと灯って居るようなのです。
「兄さん!」と、私は繰り返して見ました。が、やっぱりなんの物音も聞えないのです。私は何だか冷めたい固くるしい物が、咽喉からグングン胸の方へ下って行って、胸一杯に拡がるように思いました。格子を持って居る私の手が、ブルブル顫えた為でしょう、格子が無気味に、ガタガタと動きました。私は、障子一枚の向うに姉夫婦の屍骸が横わって居るのを、マザマザと感じました。私は必死の覚悟を固めて玄関の障子をあけました。が、その二畳の間には、なんの異状もありませんでした。私は、怖る怖る次の四畳半の襖を開けました。その四畳半にも何の異状もありませんでした。が、ふと四畳半と六畳との間の襖が二尺ばかり、開かれて居る間から六畳の間を見ました時、私は思わず「姉さん!」と、悲鳴に似た声を出しました。...

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